鎌倉 (旧鎌倉郡) の歴史を訪ねて    
     瑞泉寺     (夢窓疎石 作庭 池泉式庭園 の 寺)         鎌倉    
       
    
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   二階堂の奥、紅葉ヶ谷(もみじがやつ)のさらの奥に瑞泉寺(ずいせんじ)があります。
 瑞泉寺は、開山の夢窓疎石(むそうそせき:夢窓国師(むそうこくし))が作庭したと云われる池泉式庭園で知られている寺です。境内は、樹木を配置した美しい庭が広がり、季節には花(梅、スイセンなど)が咲き誇り、花の寺としても知られています。

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  鎌倉宮 ・ 二階堂 周辺
 
 
 
<< アプローチ >> 
 

     鶴岡八幡宮 東鳥居 ・  畠山重忠 邸跡  〜   荏柄天神社 ( お宮通り ) ( およそ 700m )  
     荏柄天神社 〜 ( お宮通り ) 〜 大塔宮 ( 鎌倉宮 ) ( およそ 200m )  
     大塔宮 ( 鎌倉宮 )  〜  理智光寺跡  ( およそ 300m )  
     理智光寺跡  〜  永福寺跡  ( およそ 200m )  
     永福寺跡  〜  瑞泉寺 総門  ( およそ 300m )  
     瑞泉寺 総門  〜  瑞泉寺 本殿  ( およそ 300m )  
    
 



   錦屏山 瑞泉寺  (きんぺいさん ずいせんじ)                
       
紅葉ヶ谷 画像 瑞泉寺 画像 瑞泉寺 画像  
紅葉ヶ谷への路 通玄橋 瑞泉寺 総門へ向かう 瑞泉寺 総門  
 
     

<<瑞泉寺(ずいせんじ)>>
 嘉暦2年(1327)、幕府の御家人 二階堂道蘊(にかいどうどううん)が、名僧と崇められていた夢窓疎石(むそうそせき:夢窓国師(むそうこくし)))のため建立した瑞泉院がはじまり。足利基氏(あしかがもとうじ:足利尊氏の子、鎌倉公方)が中興となり、改名し瑞泉寺となりました。その後、鎌倉公方家菩提寺となり、塔頭12を数える大寺になりました。鎌倉公方家が衰退するとともに瑞泉寺も衰退しました。江戸期には水戸光圀の庇護なども受け今に続いています。
 境内は、樹木を配置した美しい庭が広がり、また本堂裏に、夢窓疎石が作庭したと云われる池泉式庭園があり、季節には花(梅、スイセンなど)が咲き誇り、花の寺としても知られています。

 観音霊場めぐり鎌倉三十三ヶ所 第六番札所です。札所本尊は千手観世音。  
    
       
瑞泉寺 画像 瑞泉寺 画像 瑞泉寺 画像  
瑞泉寺境内 案内所前 境内奥から 瑞泉寺 案内所前の庭園 瑞泉寺 山門へ向かう石段の参道  
 
     

<<二階堂から瑞泉寺へ (鎌倉宮(大塔宮)・理智光寺(りちこうじ)跡・永福寺(ようふくじ)跡を経て)>>
 金沢街道の岐れ路からお宮通りを進み二階堂を行きます。正面に鎌倉宮(大塔宮)の鳥居が見えてきます。鳥居前を右に進むとすぐT字路にでます。ここを左に進みます。この道は、金沢街道の関取場付近から続く二階堂大路です。この道をわずかに進と右に分岐した道があります。まっすぐ進んでもいいのですが、右の道をたどりと理智光寺跡にいくことができますので、寄ってみるのもいいでしょう。
 理智光寺跡へ行くには、分岐した道を進み、二階堂川を渡り左に進みます。正面の山に石段が続く理智光寺跡が見えてきます。理智光寺跡前のT字路を左に進み、二階堂川にかかる理智光橋を渡ると二階堂大路からの道に戻ることができます。この辺は永福寺があった所です。
 道傍らに永福寺跡の碑が建っています。永福寺は、左右に阿弥陀堂・薬師堂を持つ二階堂を本堂とする壮麗な寺院でした。少し前まで、すすきの原で立ち入ることができませんでしたが、今回、一部立ち入りができるようになっていました。現在(2012年)重機も入り二階堂の復元工事が行われています。
 その先、正面の二階堂川にかかる通玄橋を渡り坂道を上っていきます。左右に山が迫る狭い道の先に瑞泉寺の総門が見えてきます。

<<瑞泉寺総門から山門へ>>  
 総門から先は、開けていて駐車場になっていて、その先に受付(案内所)があります。総門の右手は瑞泉寺の塔頭の1つであった永安寺跡があります。
 受付(案内所)で拝観料を払い、先へ進みます。参道の左側は樹木か植えられ庭園になっています。散策路もありますので歩いてみるのもいいでしょう。正面の木々の間、山に入る石段の参道が続いています。石段の参道は短い距離ですが深山を歩いているような雰囲気になります。
 石段を上り切ったところに山門があります。山門右手には、石仏、湧水があり深山のような雰囲気があります。左手には、吉田松陰留跡碑が建っています。また、多くの文人の縁もあり、いくつか碑があります。

<<吉田松陰と吉田松陰留跡碑>> 
 吉田松陰(よしだしょういん)は江戸期末(幕末)の長州藩士で思想家、教育者、兵学者、地域研究家、明治維新の精神的指導者・理論者として知られています。叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受けました。
 東北を視察見学するため脱藩し、外国への密航を試みるなどし、罪を問われることも数度ありました。幕府から注意人物とされ、幾度も投獄されました。
 安政2年(1855)には出獄を許され幽閉の処分となりました。安政4年(1857)に叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ松下村塾を開塾しました。この松下村塾において、久坂玄瑞(くさかげんずい)、高杉晋作(たかすぎしんさく)、伊藤博文(いとうひろぶみ)、山縣有朋(やまがたありとも)など明治維新を推めた面々を指導し輩出しました。
 そののち、安政6年(1859)10月27日、松陰は処刑されました。

 瑞泉寺25世の竹院が松陰の母の兄であったことから、松陰は4回も瑞泉寺に寄宿しています。
 昭和4年(1929)、徳富蘇峰(とくとみそほう)の筆跡で吉田松陰留跡碑が建立されました。
 
    
       
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瑞泉寺 山門へ石段の参道 瑞泉寺 山門 瑞泉寺 山門の額  
 
     

       
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瑞泉寺 山門前 吉田松陰留跡碑 瑞泉寺 山門前 湧水 瑞泉寺 山門本堂側から  
 
     

<<本堂、本堂前庭園、本堂裏「池泉式庭園」>>
 山門を入ると、正面に本堂、その右側に庫裏、客殿、左側には開山堂、地蔵堂と並んでいるのが見えます。
 本堂の前庭は、多くの花や樹木が植えられ、特に梅の古木が見事です。梅、スイセンがさく2月ころは多くの観光客、参拝者が訪れます。
 山門左手には、鐘楼があり、その傍らこんもりとした塚らしきところに、石塔・石仏が並べられています。
 開山堂と地蔵堂の間を進み、本堂裏に回ってみます。夢想礎石の作庭と伝えられる「池泉式庭園」を見ることができます。
 岩盤を削り、中島を残し、裏山の湧水を取り入れて滝口からの流水を造った禅の庭。中央の大きなやぐらは天女窟といわれています。鎌倉を代表する庭園です。
  
       
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瑞泉寺 本堂と庫裏 瑞泉寺 本堂 瑞泉寺 本堂と客殿 裏庭から  
 
     

       
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瑞泉寺 地蔵堂 瑞泉寺 前庭 樹木の中の散策路 瑞泉寺 石塔・石仏  
 
     

<<夢窓疎石(むそうそせき:夢窓国師(むそうこくし)))>>
 弘安4年(1281)に伊勢に生まれ、密教を学び、のち禅を志したといいます。
 思想は密教を含んだ禅風であり、諸国から門下が集まり名僧として知られるようになりました。また声明、作庭に優れていたといいます。
  
       
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瑞泉寺 池泉式庭園 天女窟 瑞泉寺 池泉式庭園 瑞泉寺 池泉式庭園  
 
     

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