鎌倉 (旧鎌倉郡) の歴史を訪ねて    
    鎌倉   九品寺・補陀洛寺・千手院・蓮乗院        
    材木座 (九品寺から光明寺へ) を歩く     
    
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   大町から材木座あたりは,商業で栄えたところです。鎌倉時代には,材木座海岸の和賀江嶋の港から多くの物資が陸揚げされました。そしてこのあたりには米座、魚座などいくつも”座(座 --- 商業権を独占する場、集団)”が設けられました。”材木座”という地名はそれが今に残ったものです。
 材木座から鎌倉幕府の中心部へ物流の重要な道として小町大路がのびていました。
 小町大路沿いに、九品寺があります。その地は、新田義貞の鎌倉攻めのとき、鎌倉へ突入した新田義貞が本陣を置いたところです。
 九品寺から材木座海岸まではわずかな距離です。材木座海岸近くの大寺、光明寺まで歩いてみましょう。

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  鎌倉 材木座( 九品寺から光明寺へ) 周辺
 
 
 
<< アプローチ >> 
 

    JR鎌倉駅から九品寺までは1.5km程度の距離で,歩きで30分ほどです。
 JR鎌倉駅から、若宮大路を渡り、本覚寺の境内を抜け小町大路に出ます。そこから小町大路を南方向(材木座方向)へ進みます。大町四ツ角、横須賀線の踏切を越え進んでください。

 バスを利用することもできます。
 
         ○ JR鎌倉駅より京急バス [九品寺]バス停下車
  << 行き先 >>
     ・九品寺循環(上河原・水道路経由)  鎌12
     ・逗子駅行き(九品寺・小坪経由) 鎌40
     ・小坪行き(九品寺経由) 鎌41

 
 



   内裏山 九品寺 (だいりさん くほんじ)   鎌倉         

 新田義貞の鎌倉攻めの時、稲村ヶ崎から鎌倉に攻め入り由比ヶ浜を勝ち進んだ新田義貞が本陣を置いた所といいます。そして元弘3年(1333)5月、鎌倉幕府は滅びました。
 建武3年(1336)、義貞が戦死者の冥福を祈るため、新田軍の本陣跡地に九品寺を建立したといいます。
 山門に掲げられた「内裏山」と本堂に掲げられた「九品寺」の額の文字は、新田義貞の筆跡を写したものといいます。直筆と伝えられる額は本堂に保管されています。
 本尊は木造阿弥陀三尊像で、南北朝期の作といわれています。また寺宝に永仁4年銘(1296)の石造薬師如来坐像があり、鎌倉国宝館に保管されています。
 鎌倉三十三ヶ所観音霊場の第十六番札所です。札所本尊は聖観世音です。
  
九品寺 画像 九品寺 画像 九品寺 画像  
九品寺 山門 九品寺 本堂 九品寺 本堂  
 
     

   乱橋 (みだればし) と 乱橋の碑    鎌倉          

 九品寺の北側、小町大路に乱橋があります。現在の流れは暗渠になっていて橋らしきものはありません。傍らに乱橋の碑が建っています。
 この場所に関してはこんな話が伝わっています。
「元弘3年(1333)5月、新田義貞が鎌倉に攻め入った時、北条方の防衛線がこの橋のあたりから崩れ乱れ始めたので”乱橋”と呼ばれるようになった。」
 しかし、この話を裏付けるような記録も根拠も存在せず、後世に流布した話と思われています。
 小町大路は幕府の中心地へつながる道です。新田義貞の本陣との位置関係からありそうな話のようにも思えます。
     八幡宮乱橋の碑 画像
乱橋の碑  
 
 <<九品寺から補陀洛寺へ向かう>>

 九品寺の山門前から、小町大路を材木座海岸方向へ進みます。100m~~ほどで左の狭い路地に入ります。路地の入り口角に薬局があり目印になります。50mほど進むと、T字に道に突き当たります。その道の左方向数十mほど先に補陀洛寺の建物が見えます。右方向へ進めば光明寺と材木座海岸入り口との間の道に出ます。
  
   南向山 補陀洛寺(なんこうざん ふだらくじ)   鎌倉          

 門前に「源頼朝公御祈願所南向山補陀洛寺」と記された貞享2年(1685)建立の石碑があります。
 開山は文覚、開基は源頼朝と伝えられています。頼朝が鎌倉に入った翌年の養和元年(1181)に頼朝の祈願所として創建されました。当初は、七堂伽藍を備えた大寺であったといいます。度々、竜巻や火災などの災害に合い規模が縮小したといいます。
 本尊は、木造十一面観音菩薩立像です。札所本尊も同じ。
 鎌倉三十三ヶ所観音霊場の第十七番札所です。
  
補陀洛寺 画像 補陀洛寺 画像 補陀洛寺 画像  
補陀洛寺 補陀洛寺 門前の石票 補陀洛寺 本堂  
 
     

 <<補陀洛寺から光明寺へ向かう>>

 今歩いて来た道を途中まで戻り、そのまま直進すれば光明寺と材木座海岸入り口との間の道に出ます。
 しかし、せっかくですので、路地歩きを楽しみましょう。
 補陀洛寺門前を右に入る路地を進みます。10m~~ほどで右手は墓地になります。墓地と民家の間の狭い道(人一人通るのがやっと)に入ります。道はすぐ左に直角に曲がりその先で道幅はやや広くなります。そのまま100mほど進むとT字に道に突き当たります。その道を右方向に進めば光明寺の総門近くに至ります。
 光明寺総門に向かい総門前を左の進めば千手院、右に進めば蓮乗院へ行くことができます。
 両寺院は、光明寺の山門を左右から挟むように位置しています。
 光明寺に関しては、「光明寺」のページを参照してください。
  光明寺  のページへ
  
   天照山 千手院(てんしょうざん せんじゅいん)   鎌倉          

 当初光明寺の僧坊であったといい、また専修院と称し専修念仏の道場であったといいます。
 本尊は、阿弥陀如来坐像です。千手観音菩薩立像(札所本尊)も安置されており、それが人々に知れ渡っていたため、のちに千手院と改名したといいます。
 鎌倉三十三ヶ所観音霊場の第二十番札所です。
  

千手院 画像 千手院 画像 千手院 画像  
千手院 千手院本堂   千手院 境内 石票  
 
     

   天照山 蓮乗院 (てんしょうざん れんじょういん)     鎌倉          

 光明寺が佐助ヶ谷から移建してくる前からこの地にあった蓮乗寺が、光明寺の移建後、光明寺の塔頭となり蓮乗院となりました。
 光明寺移建のおり、開山の良忠上人が蓮乗院に寄留したことから、光明寺の歴代の住職は、まず蓮乗院に入ってから光明寺に入る習わしになったといいます。
 本尊は阿弥陀如来立像、正安元年(1299)播磨法橋宗円の造仏銘が胎内に記されています。
 鎌倉三十三ヶ所観音霊場の第十九番札所です。札所本尊は十一面観世音(秘仏で拝観できない)です。
  

蓮乗院 画像 蓮乗院 画像
蓮乗院 蓮乗院本堂
 
   

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