鎌倉 (旧鎌倉郡) の歴史を訪ねて    
    称名寺 (今泉) ・ 今泉不動    (鎌倉市今泉)     鎌倉         
     弘法大師(空海)ゆかりの古刹、   空海が刻んだという不動明王像と大黒天像を祀る    
    
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   今泉山称名寺(こんせんざんしょうみょうじ)は、JR大船駅の南東、今泉(いまいずみ)、砂押川の谷(やつ)の奥にあります。今泉不動(いまいずみふどう)の名で親しまれています
 弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)が諸国巡行のおり、この地で霊感を得、不動明王の石像を刻み本尊とし、大黒天の石像を刻み守護神として祀ったと言い伝えられています。
 のち、称名寺がこの霊地に開かれました。

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  << アプローチ >>    
    (JR大船駅(東口)より)  

 JR大船駅東口から、江ノ電バス「鎌倉湖畔循環」 にて 「今泉不動」下車 徒歩5分


    (付近の略地図は   大船から今泉方面 周辺 略地図  のページへ)
 



   今泉山 一心院 称名寺 (こんせんざん いっしんいん しょうみょうじ)         (浄土宗)       

 弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)が、弘仁九年(818)のころ、開いたと伝えられています。
 この地は、峰口がいくつも重なる谷ということで、九十九谷(つくもだに)と呼ばれていました。空海が諸国巡礼でこの地を訪れたとき、紫雲たなびく金仙山(こんせんざん)に老翁・老婆が現れ、この地(今泉)に不動明王(ふどうみょうおう)を祀り衆生を救うよう告げられたといいます。空海は不動明王の石像を刻んで本尊とし、大黒天(だいこくてん)の石像を刻んで守護神とし祀ったといいます。また、岩崖を穿ち陰陽の滝(いんようのたき)を流し、水不足に悩む村里に恩恵を与えたといいます。なお、この老翁は不動明王の化身であり、老婆は弁財天の化身であったといいます。
 また、それより金仙山を今泉山(こんせんざん)と称するようになったとも伝えられています。

 鎌倉時代には真言密教の円宗寺という寺院があり、源頼朝や歴代将軍、北条氏の参詣もあったといいます。しかしその後無住になりすっかり衰退したといいます。
 貞享元年(1684)、直誉蓮入(じきよれんにゅう)が、江ノ島に籠もったおり霊夢に弁財天のお告げを得てこの地に至り、不動堂や阿弥陀堂を建立したといいます。
 元禄六年(1693)、増上寺貞誉(ていよ)より、「今泉山」という山号と「称名寺」という寺名を受け、今泉山称名寺を称し浄土宗の寺院となりました。
     称名寺(今泉) 画像
称名寺(今泉)
 

       
称名寺(しょうみょうじ) 画像 称名寺(しょうみょうじ) 画像 称名寺(しょうみょうじ) 画像  
境内案内図 称名寺 六地蔵と石塔 称名寺境内 石塔と板石碑 称名寺境内  
 
     
<<境内・本堂へ>>
 境内に入ると、短い距離ですが両側が崖になった切り通された坂の道を進みます。左の崖には六地蔵が並びます。左の崖には石塔、板石碑が建ちます。すぐに開け、その先左に真新しい庫裡、それにつながって本堂が建ちます。
 本尊は阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)で、それは観音菩薩(かんのんぼさつ)、勢至菩薩(せいしぼさつ)など二十五菩薩を従えた聖衆来迎の図(しょうじゅうらいごうのず)を立体的に表しているものです。

<<弁天堂>>
 本堂の先、ほたる池をはさんで弁天堂が建ちます。直誉蓮入(じきよれんにゅう)が江ノ島の弁財天のお告げでこの地に来たということから、弁財天を祀っています。
    
       
称名寺庫裡 画像 称名寺本堂 画像 称名寺 画像  
称名寺庫裡 称名寺本堂 不動堂へ向かう 称名寺  
 
     


称名寺 画像 称名寺 画像  
弁天堂 称名寺 不動明王像(石段上り口) 称名寺  
 

<<不動堂(ふどうどう)へ>>
 弁天堂の前から石段を上ります。上り口には「不動堂登り口」と記された木柱があり、その左側には高さ1m余の大きな不動明王(ふどうみょうおう)石像が置かれています。
 石段は途中で左に曲がり上って行きます。石段の両側には石仏・石塔がいくつも置かれています。石段を上りきると不動堂があります。
 不動堂には不動明王が祀られています。これが今泉不動です。また石像の大黒天像も置かれています。
    
称名寺 画像 称名寺 画像 称名寺 画像  
不動堂への石段 称名寺 不動堂への石段 称名寺 石段脇石仏・石塔  
 
     


称名寺 画像 称名寺 画像  
不動堂 称名寺 不動堂前石段脇 称名寺  
 

<<三十六童子、制多迦童子(せいたかどうじ)と矜迦羅童子(こんがらどうじ)と大日如来(だいにちにょらい)>>
 不動堂の右背後の石段に三十六童子の石像が並んであります。
 三十六童子は不動明王の眷属(けんぞく;従者)です。その上部には左に制多迦童子(せいたかどうじ)、右側に矜迦羅童子(こんがらどうじ)(共に不動明王の脇侍、眷属)が置かれています。そこからさらに石段が続いていてその上には大日如来(だいにちにょらい)が置かれています。なお石段上部は立入禁止になっています。
 なお大日如来は、不動明王の本地(本来の姿)といいます。
    


称名寺 画像 称名寺 画像  
三十六童子 称名寺 三十六童子 称名寺  
 

称名寺 画像 称名寺 画像 称名寺 画像  
三十六童子 称名寺 三十六童子 称名寺 三十六童子 称名寺  
 
     


称名寺 画像 称名寺 画像  
大日如来と制多迦童子・矜迦羅童子 称名寺 大日如来 称名寺  
 

<<陰陽の滝(いんようのたき;不動の滝)へ>>
 弁天堂前まで戻ります。弁天堂に向かい反対側に下っていく道が陰陽の滝へ向かう道です。石段を降りていくと先の石段を数段上ったところに「陰陽の滝」と記された板石が建ちます。そのかたわらの崖のくぼみに小さな石仏が並んでいます。石柱の門がありそこから下り、陰陽の滝下の清流まで降りることができます。滝に向かって左の落差1m余の幅の狭い滝が女滝です。正面右の落差3mほどの幅の広い滝が男滝です。滝から落ちた水は合わさってさらに右手北方向に清流となって流れて行きます。
 男滝と女滝の間の崖には、板石碑、不動明王像が置かれています。
    
称名寺 画像 称名寺 画像 称名寺 画像  
「陰陽の滝」石碑 称名寺 陰陽の滝へ門柱 称名寺 石仏(陰陽の滝 石碑脇)  
 
     

称名寺 画像 称名寺 画像 称名寺 画像  
陰陽の滝 女滝 陰陽の滝 男滝 陰陽の滝から流れ落ちた清流  
 
     


称名寺 画像 称名寺 画像  
板石碑 陰陽の滝脇 不動明王像 陰陽の滝脇  
 

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