鎌倉 (旧鎌倉郡) の歴史を訪ねて    
     佐助稲荷神社         鎌倉    
   佐助稲荷神社 出世稲荷 佐助ガ谷 霊狐泉 古稲荷 縁結び 大仏坂ハイキングコース  
    
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   佐助ガ谷(さすけがやつ)の奥にある古社です。
 源頼朝(みなもとのよりとも; 鎌倉幕府の創始、鎌倉幕府初代将軍)が、鎌倉の隠れ里に住む稲荷の霊神の啓示を得て源氏の再興を成し全国を平定したと云い伝わります。のち、頼朝はその隠れ里(佐助ガ谷)を探しだし社殿を建てたと云います。
 出世運向上のご利益があるといい、出世稲荷といわれています。

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  << アプローチ >>    
      (JR鎌倉駅(西口)より)  
  ・   JR鎌倉駅(西口) 〜 市役所通り 〜 佐助一丁目(交差点)から佐助ガ谷 〜 佐助稲荷神社   ( およそ 1200m )  

 JR鎌倉駅西口から、市役所通りを西方向に進み600mほどで分岐(佐助一丁目)を右(北方向)へ進みます。この道は佐助ガ谷(さすけがやつ)を上り源氏山公園へ続いています。300mほどで分岐があり、左(西方向)へ進むと200mほどで佐助稲荷神社の下社へ至ります。下社の前を通り、その先の鳥居が並ぶ上り坂を上ると、佐助稲荷神社の拝殿・本殿に至ります。

    (付近の略地図は   銭洗弁天 から 佐助稲荷 へ   のページへ)
 



    佐助稲荷神社 (さすけいなりじんじゃ)           (鎌倉 佐助ガ谷)      
       
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佐助稲荷神社 下社・社務所 「佐助稲荷神社由緒」「縁結び十一面観世音菩薩」解説 佐助稲荷神社 参道  
 
     
 祭神 ーー 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、佐田彦命(さるたひこのみこと)、大宮女神(おおみやのめのかみ)、事代主命(ことしろぬしのみこと)

 保元の乱(ほうげんのらん; 保元元年(1156))、平治の乱(へいじのらん; 平治元年(1159))で、平氏(伊勢平氏)が勢力を伸ばし京を中心とした中央の政治権限を独占するようになりました。
 源氏の嫡流であった源義朝(みなもとのよしとも)は平治の乱で敗れ、東国へ向かう途中で殺されました。義朝の子の源頼朝(みなもとのよりとも; 鎌倉幕府の創始、鎌倉幕府初代将軍)は、捉えられるも助命され伊豆国に配流になりました。
 頼朝は、配流地の伊豆国の蛭ヶ小島(ひるがこじま)にいたとき、ある日、病床に伏せていると夢枕に老人の姿の霊神が現れ「われは鎌倉に住む稲荷」といって、平家(平氏)討伐の時期の到来を告げ、挙兵をうながしたと云います。治承4年(1180)に頼朝は挙兵すると、平氏を討伐し、鎌倉幕府を開き、全国の平定を成し遂げました。
 その後、頼朝は霊神の加護に感謝し、この隠れ里(佐助ガ谷)を選び、畠山重忠(はたけやましげただ; 鎌倉幕府の重臣)に命じ、社殿を造らせたといいます。
 頼朝が稲荷の霊験により源氏の再興を成し遂げたこと、全国を平定したことから、出世運向上のご利益があるとされ、出世稲荷といわれています。
 また、寛元のころ(1243-49)、鎌倉で疫病が流行したとき、佐介(助)稲荷の霊神が再び奇瑞を現し、霊種を蒔いて薬草を生やし、病で苦しむ人々をことごとく癒したといいます。
 以来、商売繁盛、病気平癒、大漁満船、学業成就に霊験顕然であるといいます。

<<佐助ガ谷(さすけがやつ)>>
 佐助川の流れる谷間が佐助ガ谷で、頼朝が親衛隊を住まわせた隠れ里との云い伝えもあります。
 佐助川(さすけがわ)は、滑川(ぬめりがわ)の支流で、源氏山の南西面から流れ出、若宮大路の琵琶橋(びわばし; 下馬四角付近)付近で合流します。
 「佐助」の地名の所以は、・{頼朝(佐殿(すけどの))を助けた稲荷の霊神の地である。}・{頼朝(佐殿)の新鋭隊(佐殿を助ける部隊)の武士が住んでいた。}・{上総介、千葉介、三浦介の三人の介の屋敷があって三介が谷とよばれていた。}などの諸説があります。
 頼朝は佐殿(すけどの)と呼ばれていたといいます。平治の乱の最中、頼朝は13歳で右兵衛権佐(うひょうえのすけ)に任ぜられました。しかし乱に敗れ配流になりました。その後も、佐(すけ)という官位にあったとのことから佐殿と呼ばれたといいます。

<<縁結び(えんむすび) 十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)>>
 境内にある、台座を含めて人丈ほどの小さなお堂に安置されています。
 江戸期ころ、縁あって足柄の尼寺から当地に移されたといいます。
 良縁にうすく、仏門に入られた美しい姫君、赤松幸運がこの世の若い男女に良縁があらんことを祈りつつ彫られたと伝わります。

<<下社 から 拝殿・本殿 へ>>
 佐助稲荷神社を目指して谷(やつ)の奥へ進んでくると、まず左手に下社(社務所を兼ねている)が現れます。建物の前に(佐助稲荷神社由緒)(縁結び十一面観世音菩薩)について記された解説板が建ちます。
 下社の前を過ぎると、鳥居の建ち並ぶ階段の上りになり、それが100mほど続きます。石段を上りつめると正面に拝殿が現れます。拝殿の背後、さらに石段を上った先に本殿があります。
    
       
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佐助稲荷神社 参道 佐助稲荷神社 参道 佐助稲荷神社 参道から拝殿  
 
     

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佐助稲荷神社 拝殿 佐助稲荷神社 本殿  
 

<<霊狐泉(れいこせん)>>
 拝殿のある平地、拝殿の右手崖の下に横穴があり中に湧水が湧いています。霊狐泉といいます。
 霊狐泉の手前には解説板が立っています。それによりますと、
「佐助の稲荷山は、往古(むかし)より麓の田畑を潤す水源の地なり。生命の基のこの湧水を人々は霊狐の神水と称え家々の神棚に供えて霊狐のご神徳を戴くなり。今に至るも絶えず湧き出づる霊狐の泉なり。」
と、あります。
    
       
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霊狐泉 佐助稲荷神社 霊狐泉 佐助稲荷神社 霊狐泉 佐助稲荷神社  
 
     

<<奥の院 小祠群>>
 拝殿に向かって左手、山の斜面を上っていく石段の道があります。この道を上った一段高くなったところに小祠がいくつも並びあります。こちらが奥の院になります。古稲荷といわれています。
    

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小祠群・古稲荷へ  佐助稲荷神社 小祠群・古稲荷 佐助稲荷神社  
 

<<大仏坂ハイキングコースへ>>
 拝殿左手からの山道を上り小祠群を右に見てさらに進みます。拝殿前から50mほどで尾根に出ます。この尾根は大仏坂ハイキングコースがある尾根の支尾根です。ここで道は分岐します。右手に支尾根を上っていくと大仏坂ハイキングコースへ出ます。支尾根の反対側の谷(やつ)へ下る道は長谷大谷戸へ下り市役所通りに出ます。
 分岐から、右手支尾根の道を上っていくと50mほどで大仏坂ハイキングコースに出ます。それを右手方向(北東方向)へ進むと源氏山公園、葛原岡に至ります。左手方向(南西方向)へ進むと大仏坂、高徳院(大仏)に至ります。
    
       
大仏坂ハイキングコース 画像 大仏坂ハイキングコース 画像 大仏坂ハイキングコース 画像  
大仏坂ハイキングコース へ 大仏坂ハイキングコース 大仏坂ハイキングコース 小坪方面を望む  
 
     

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