鎌倉 (旧鎌倉郡) の歴史を訪ねて    
    鎌倉    明月院  紫陽花寺 (あじさいでら)           
    紫陽花寺 あじさい寺 北条時頼廟 悟りの窓 瓶の井 明月の観音    
    
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   紫陽花寺とも呼ばれ,梅雨の頃はとくに多くの人が訪れます。
 境内の参道に紫陽花(あじさい)が数多くの植えられていて,季節には見事に咲き誇ります。

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  北鎌倉 周辺
 
 
 
<< アプローチ >> 
 

     JR北鎌倉駅 より およそ 700m   
      JR北鎌倉駅の下りホーム臨時改札口が開いていたらそこから出ましょう。
 鎌倉方面に向かって横須賀線線路の左側を進みます。円覚寺の山門前を過ぎ,改札から400mほどのところの分岐から左の谷の道(明月院通り)を進みます。分岐には標識があります。その分岐から300mほどで明月院総門前に着きます。

 
     
    
 



福源山 明月院(めいげついん)    鎌倉        
    
 明月院があるこの地は,当初,鎌倉第五代執権北条時頼(ときより)が最明寺を創建した所です。
 最明寺は時頼の死後廃絶しましたが,時頼の子の時宗(ときむね)が蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を開山としてその跡地に禅興寺(ぜんこうじ)を再興しました。康元元年(1256)
 そのころ,平治の乱で戦死した山ノ内俊道と同族の菩提を弔うために長子の経俊が一宇が建立しました。それが禅興寺の塔頭(たっちゅう)で明月庵と呼ばれました。
 後,康歴2年(1380)上杉憲方(のりかた)が密室守厳(みっしつしゅげん)を開山として堂宇を改修し明月院としました。
     明月院 総門 画像
明月院  総門  
 
   禅興寺は,関東十刹の一位に数えられ隆盛を誇りましたが,明治当初に廃寺になりました。明月院は残りました。

 明月院は観音霊場めぐり鎌倉三十三ヶ所の第三十番札所です。本尊の如意輪観世音は”明月(あかつき)の観音さま”と親しまれ,子授の霊験があるとされています。
明月院 参道 画像
明月院    参道
 
  明月院 散策路 画像
明月院    散策路
 
   <<参道>>
 総門から中門へ続く石段の参道の両側には数多くのアジサイが植えられていて,梅雨の頃には見事に咲き誇ります。
 参道の付近には,美しいい樹木や竹林の中をめぐる散策路もあります。
 
<<北条時頼廟所・公墓所>>
 総門を入った左手奥に北条時頼廟所と公墓所があります。時頼は最明寺入道時頼ともいわれた鎌倉幕府の第五代執権です。

<<中門から本堂>>
 参道を上り中門を入ると,正面に本堂,本堂前に枯山水庭園がひろがります。

<<開山堂>>
 禅興寺の明月院境内にあった宗猷堂を後に開山堂としたものです。
 堂内中央に開山密室守厳の木像,向かって左に最明寺,禅興寺,当院の歴代の住持の位牌が祀られています。

<<明月院やぐら>>
 開山堂の裏手の山腹に,間口約7m,奥行き約6m,高さ約3mのやぐらがあります。鎌倉で最大級のやぐらです。
 やぐらの壁面中央には,阿弥陀如来像,多宝如来,両側には十六羅漢の浮彫りが彫られています。やぐら中央には宝筴印塔(上杉憲方の墓)があります。

<<瓶の井(かめのい;つるべのい)>>
 鎌倉十井の一つ。内部が水瓶のようにふくらみがあることから”瓶の井”と呼ばれるようになったといいます。
  

明月院 北条時頼公墓所 画像 明月院 開山堂 画像 明月院やぐら 画像
明月院 北条時頼公墓所 明月院 開山堂 明月院やぐら  
 
     
   
 
     
       
明月院 中門 画像 明月院 枯山水庭園 画像 明月院 瓶の井 画像
明月院 中門 明月院 枯山水庭園 明月院 瓶の井  
 
     

<<本堂;紫陽殿(しようでん)>>
 本堂の一室奥にある丸窓は”悟りの窓”といわれ,この窓を通して本殿裏の庭園を観ることができます。
 庭園は,ショウブの季節と紅葉の季節が特に映えます。

    
       
明月院 本堂 画像 明月院 悟りの窓 画像 明月院 本堂裏の庭 画像
明月院 本堂 明月院 本堂内 悟りの窓 明月院 本堂裏の庭   
 
     

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