鎌倉 (旧鎌倉郡) の歴史を訪ねて    
     海蔵寺     四季の花が映える花の寺         鎌倉    
       
    
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   扇ヶ谷の奥にある海蔵寺(かいぞうじ)は、四季の花が咲く”花の寺”として知られています。

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  << アプローチ >>   
   ○ 鎌倉駅西口 〜 寿福寺 ・ 英勝寺             ( 約 600m )  
   ○ 寿福寺 ・ 英勝寺 〜 阿仏尼の墓            ( 約 200m )  
   ○ 阿仏尼の墓 〜 海蔵寺                            ( 約 500m )  



   扇谷山 海蔵寺  (せんこくさん かいぞうじ)                
       
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海蔵寺 山門 海蔵寺 山門から境内 海蔵寺 境内 本堂(龍護殿)  
 
     

<<海蔵寺(かいぞうじ)>>
 扇ヶ谷(おうぎがやつ)の奥、寺跡に建長5年(1253)宗尊(むねたか)親王の命により七堂伽藍が再建されたといいます。しかし元寇3年(1333)鎌倉幕府滅亡のおり消失しました。
 その後、応永元年(1394)、2代鎌倉公方足利氏満(うじみつ)の命により上杉氏定(うじさだ)が源翁(げんのう)禅師を開山として再建したのが海蔵禅寺です。
 今日では、萩、かいどうなど四季の花が咲く”花の寺”として知られています。
 観音霊場めぐり鎌倉三十三ヶ所 札所 第二十六番です。

<<源翁(げんのう)禅師について>>
 開山の源翁禅師は心昭空外といい、下野の国(栃木県)那須野ヶ原の殺生石を砕いた伝説で知られています。
 禅師は越前の人で、福島会津の示現寺で26年間止住したのち、建長寺の大覚禅師に参禅、修学、ついで海蔵寺の再建のおり開山に迎えられました。

<<庭園・書院>>
 本堂と庫裏の裏に、谷(やつ)の地形と自然の湧水を活かした禅風の庭園があります。樹木、花が四季の風情をかもし出しています。庭園には書院があり風景によくなじんでいています。
 このページにある写真の書院は、昭和5年建造のものです。平成23年(2011)に建て替えられました。
    
       
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海蔵寺 本堂わきから窓越しに書院(旧)をみる 海蔵寺 本堂裏の庭園と書院(旧) 海蔵寺 本堂裏の庭園  
 
     

<<仏殿(薬師堂)>>
 仏殿(薬師堂)は,安永5年(1776)ころに,浄智寺から移されたものと伝えられています。
 堂内には、薬師三尊像、その両側に十二神将像が並び安置されています。
 薬師如来像は啼薬師(なきやくし)とよばれ、胎内に仏面が納められているといいます。この仏面は,裏山から毎夜のように赤子の泣き声が聞こえてくるので,その場所の土中を掘ったところ出てきたといわれているものです。

<<薬師如来像と啼薬師(なきやくし)の伝説>> 
 ある年のこと、寺の背後の山麓から毎夜のように悲しげな赤子の啼き声が開山禅師の耳に届きました。 禅師が、声の主をたずね行くと、啼き声は古ぼけた墓石の下から聞こえていました。そこからは、金色の光がもれ輝いていて、あたりには芳香がただよっていました。そこで、禅師は経を読み、袈裟をぬいで墓にかけると、不思議にも赤子の啼き声は止みました。翌日、人を遣わして、その場を掘ると、立派な薬師さまの御顔を得たのでした。
 そこで、禅師は新たに薬師如来像を造立し、薬師さまの御顔を胎内に納め祀ることにしました。
 
    
       
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海蔵寺 仏殿(薬師堂) 海蔵寺 薬師三尊と十二神将 海蔵寺 庫裏  
 
     

<< 十六の井戸 (じゅうろくのいど)>>
 海蔵寺境内の南隅にある鎌倉時代に弘法大師が掘ったと伝えられる井戸です。
 仏殿の手前の左側の道をたどり行くことができます。
 岩壁に掘られた岩窟の底に直径70cmほど、深さ40〜50cmほどの穴が十六つ掘られ清らかな水をたたえています。 そのため十六の井戸といわれます。 岩窟内の正面岩壁の中央には、観音像が祀られていて、その下には弘法大師像が安置されています。
  
       
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海蔵寺 十六の井戸へ道 海蔵寺 十六の井戸 海蔵寺 十六の井戸内部  
 
     

<<底脱けの井(そこぬけのい) 海蔵寺 山門 前 >>
 海蔵寺 山門 前に鎌倉十井の一つ、底脱けの井があります。
 中世の武将安達秦盛の娘で千代能という娘がいました。ある日,千代能がここに水を汲みに来たとき水桶の底が抜けたため、「千代能がいただく桶の底脱けて,水たまらねば月もやどらず」と,歌ったことからこの名がついたといわれています。 心の底が抜けて,わだかまりも解け,心が開けたという意味の歌です。
  
   
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海蔵寺 底脱けの井解説板 海蔵寺 底脱けの井  
 
     

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