鎌倉 (旧鎌倉郡) の歴史を訪ねて    
    鎌倉   荏柄天神社  三大天神の一つ  鎌倉幕府の鬼門除け       
      
    
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   菅原道真(すがわらみちざね)公を主神と祀る天神社(天満宮)で、三大天神社の一つとされる古社です。
 源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉幕府を開いたおり、大蔵御所(大蔵幕府)の鬼門の方角(北東)にあることから幕府の鬼門除けとされ、社殿が修復されたといいます。

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  鎌倉宮 ・ 二階堂 周辺
 
 
 
<< アプローチ >> 
 

     鶴岡八幡宮 東鳥居 ・  畠山重忠 邸跡  〜   荏柄天神社 ( お宮通り ) ( およそ 700m )  
     荏柄天神社 〜 ( お宮通り ) 〜 大塔宮 ( 鎌倉宮 ) ( およそ 200m )  
    
 




   荏柄天神社 (えがらてんじんしゃ)   鎌倉          

 長治元年(1104)の創建と伝えられています。古くは荏柄天満宮と称し、太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)、北野天満宮(きたのてんまんぐう)と並ぶ日本三古天神の一つとされています。
 平安時代中ころ、雷雨と共に天神の姿絵が降りてきたのを里人が敬い、そこに神社を建てて祀ったのが始まりとされています。
 主神は、菅原道真(すがわらみちざね)公です。他に熊野三柱神を祀ります。
     荏柄天神社 画像
荏柄天神社 本殿  
 
<<大蔵幕府の鬼門除け>>
 源頼朝(みなもとのよりとも;鎌倉幕府をひらいた)が鎌倉に入り大蔵に幕府を開いたとき、大蔵御所の鬼門の方向(北東)にあることから、幕府の鬼門の鎮守とされたと云います。
 そのおり、社殿が修復されたと云います。
  

荏柄天神社 画像 荏柄天神社 画像 荏柄天神社 画像  
荏柄天神社 二つ目の鳥居と石段 荏柄天神社 門から本殿を見る 荏柄天神社 門から参道を見る  
 
     
 
<<荏柄天神社本殿(国指定重要文化財(建造物))・荏柄天神社境内(国指定史跡)>>
 社殿奥に建つ本殿は、正和5年(1316)再建の鶴岡八幡宮若宮を、元和8年(1622)よりおこなわれた鶴岡八幡宮の造営に際し、移築されたものと考えられています。鎌倉に残る最古の木造建造物と考えられています。なお、社殿の増築、修復は幾度も行われています。
 境内には、本殿、社務所、授与所、神輿庫などの建造物や、かっぱ筆塚、絵筆塚、熊野権現社(洞窟内に石の祠が安置されている)など、また門の東側には天神が降りたとされる位置に大銀杏の木(市の天然記念物:樹齢900年と推定される)があります。
  
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本殿(左奥が鶴岡八幡宮から移設された部分) 本殿(右側が鶴岡八幡宮から移設された部分) 大銀杏  
 
     

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手水舎 奥に授与所・社務所 絵筆塚 荏柄天神社 (境内社)熊野権現社  
 
     

<<参道>>
 荏柄天神社の二つ目の鳥居が境内に上る石段近くにあります。近くには案内標識、荏柄天神社の石碑などもあります。天神社を訪れる観光者や参拝者の多くはここから来られています。
 一つ目の鳥居は金沢街道沿いにあり、参道はそこから社殿まで一直線に続いていて300mほどもあります。この参道を訪れる人は稀です。
 金沢街道沿いの鳥居傍らには、石塔・石仏が並べられていました。
  
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荏柄天神社 金沢街道沿いの鳥居 金沢街道沿い鳥居傍の石塔・石仏 荏柄天神社 参道  
 
     

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