鎌倉 (旧鎌倉郡) の歴史を訪ねて    
    鎌倉    安国論寺  「立正安国論」執筆の地            
    立正安国論 日蓮上人ゆかりの寺 南面窟    
    
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   鎌倉に入った日蓮が「立正安国論」を執筆した地。
 日蓮が草庵を結んだところといわれています。

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  鎌倉 大町 周辺
 
 
  << コース と アプローチ >>    
    JR鎌倉駅から,小町大路から大町四ツ角を経て歩いて訪れることができます。
 またJR鎌倉駅よりバス便を利用することもできます。
 
         ○ JR鎌倉駅より京急バス  [名越]バス停 又は [長勝寺]バス停 下車
  << 行き先 >>
     ・新逗子駅(名越・長勝寺・緑ヶ丘入口・逗子駅経由)
     ・緑ヶ丘入口(名越・長勝寺経由)
 



妙法華経山 安国論寺(あんこくろんじ)    鎌倉        
    
 社伝によると,日蓮が,建長5年(1253)鎌倉に入り,その後の凡そ20年間をこの地で過ごしたとされています。また松葉ヶ谷御小庵の霊跡とされています。

 日蓮は鎌倉に来て7年目の文応元年(1260)7月16日,「立正安国論」この地で書き上げ,宿谷左衛門光則(しゅくやさえもんみつのり)に頼み執権北条時頼(ときより)に送りました。
 8月27日には,念仏宗の信徒に襲われ庵を焼かれ,その翌年には念仏宗の訴えにより,悪口の罪のより伊豆に流罪になりました。そうして日蓮の法難が始まりました。
     安国論寺 画像
安国論寺 山門    
 

   「立正安国論」は,国家のあるべき姿を時の最高権力者である執権北条時頼に示すための書です。これを建白したために日蓮は数々の批難・迫害を受けることになりました。
安国論寺 本堂 画像
安国論寺    本堂
 
  安国論寺 御小庵 画像
安国論寺    御小庵
 
   <<御小庵>>
 宝形造りのお堂で,奥に連なる御法窟は日蓮が「立正安国論」を起草したところです。
 御法窟の中には執筆中の日蓮の姿を日朗上人が刻んだとされる像が祀られています。
 

<<巡礼路>>
 背後の山に,日朗上人御荼毘所,南面窟を経て市内を見渡す富士見台に通じる巡礼路があります。

<<南面窟>>
 文応元年(1267),念仏宗徒に襲われ庵を焼かれたさいに,日蓮は白猿に導かれてこの洞窟に避難し難を逃れたといわれています。

    
       
安国論寺  画像 安国論寺 南面窟 画像 安国論寺  画像
安国論寺 日朗上人御荼毘所 安国論寺 南面窟 安国論寺 富士見台へ上る石段  
 
     

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